辞め時

    最近「辞め時」というのをよく考える。

    小説の辞め時。

    自分が小説を書くのをやめるのはどういう時かと考えたとき、



    不平不満がなくなり、現状に満足した時


    なんだろうな、と漠然と思いついた。

    なろうサイトのバトンで

    Q14.何のためにもの書いてる?

     上記の質問の回答の通り、感情の吐きだし口。よーく観察すると、当時の考え方や感情がキャラに反映されている。


    と回答を書いた。
    私にとって小説とは、本当に感情の吐き出し口。「酔いどれ~」がいい例で、あの時の感情、たとえば「変わらない日常へのいら立ち」っていうのは、もう今では吐きだせない。だって変わらないからこそ平穏であり、楽であり、幸せなんだもの。その当時の感情を良く反映しているので、読み返すと興味深いですね。

    実は、今年に入り小説書きの頻度が上がったんだけど、書いている途中で自分のピークはとっくに過ぎているんじゃないかと思うようになっていった。ここが書き納め時だなと何回も思ったの。
    自分で限界を決めちゃいけないのはわかってる。だけど、以前のように何かを訴えたいと書くよりも、誰かの言葉に対して、私なりの答えを書きたいという方向性に変わってきている。
    それはなんだか末期なんじゃないかと。
    なので辞め時っていうのを模索している。
    でもその時期について現状に満足した時って時点で、私は生涯書き続けるのかもしれない。
    だって自分わがままなんですもの。



    私は言葉を多く持っていない。
    だから小説を書いているときは不安でしょうがない。
    だから他人の言葉をよく参考にする。
    影響を受けた方は意外に少なく、読了した冊数に比例していない。読了冊数なら、阿刀田孝が最多である。でも作風も文体も全然違うでしょ? ちなみにどこかでも言い散らかしているんだけど、言い回し、文の構成は無名の二次創作の作者からよく影響を受けている。
    例えば 

    意図していることがわかり、しかし気休めにしかならない。

    上記の文は、朧からの抜粋。普通は二文に分けるか、接続詞から始めるんだろうね。けどこのあくの強い書き方は、案外気に入っていてずっと使ってモノにしたつもり。他にも多々あるんだが、やっぱり最後は自分流になっている。一般小説は一般受けするために、文章がフラットで面白味がないんだな。

    色彩、情景で影響を受けたのは、タニス・リー。もちろん浅羽さま(鬼籍)の翻訳のみ。

    言葉のピックアップで影響を受けたのは、これは作家ではなく作詞家。作詞家と限定されるのは本人嫌がるでしょうし、もちろん彼を作詞家だのと認識はしていない。ボーカルであり、ミュージシャンだ。ただ彼の書く詩は強烈で、直接的ではないにもかかわらず攻撃的、前向き、突きつけられる現実。曲を聴いても、その歌詞の内容に思わず涙ぐみそうになるのは、彼の歌詞だけ。小説の中身も彼の歌詞に影響を受けている。
    公にしたことはないけど、SURFACEが大好きです。最初は曲がいいな~と思って聞き続けてきたけれど、最近では人物的にも気になっている人たち。ふたりがとてつもなく好きです。今はソロで頑張っていらっしゃいます。それも大好きです。再結成、するとかしないとか。ぜひしてください。あまりここでは書くことじゃないですね。ちなみに彼らの歌をモチーフに書いた作品もあるんですよ。HPにはupしているけれど、さすがにここでは掲載できない。
    けど実は朧の途中で息抜きに彼らの曲をモチーフに作品を書きたいと思っている。っていうか途中まで書いていた。でももう少し設定をいじくりたかったので、ただいま熟成中。

    うん、やっぱり私は生涯書き続けるんだろうね。
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