朧恋夜 13

     もう間に合わねぇよ、開口一番せせら笑う声が頭上に降ってきた。ノウェは苦虫をかみしめるように顔を歪ませ、舌打ちをする。
     決して光の届かない廃屋の奥の間に、ノウェは立ち尽くしていた。目の前には、安椅子に浅く腰掛け足を投げ出すディディエがいる。
     明け方近く、他のヴァンパイアは地下で眠りに就くころだ。この日一番遅く帰ってきたノウェは、ディディエに迎えられた。
     暗闇の中での黒衣。ふたりの陽に当たらない白い顔が、ぼんやりと浮かび、ふとしたはずみで闇に飲まれる。しかし夜目の利くヴァンパイアには互いの顔や全身がはっきりと見えている。
    「なぁ、あの警告は人間のためだったか? リュヴェルナのためだったか? どちらも違う。あれはお前自身の希望だったんだろうが」
     へらへらとした口調だったが、語尾は苛立ちを表していた。腕組みをし、足をしきりにゆすっているディディエをノウェは静かに見下ろした。
     ディディエが許可をし、ノウェが一縷の望みをかけてリュヴェルナを隠れて見守っていた。彼女が不幸だと感じていればそれこそ幸い。連れ戻す理由ができる。相手の不幸を願う、なんと汚い心だろうか。しかしリュヴェルナは満足し、笑っていた。例え相手(カイン)の血の気が失せ、手に筆を握ることすらおぼつかず、食事も満足に採ることが敵わない状態であってもだ。あれではリュヴェルナとて、良質な血液を飲むことは適わないだろう。
     あきらめではなく、これが最上だと言う笑顔にノウェは何の手出しができようか。結局ディディエの言うとおり、リュヴェルナたちにその警告は手遅れだった。
    「なぜ許した」
    「あ?」
    「なぜ人間と共に行くことを、お前は許したのだ」
     両の拳を震わせ、必死で留める姿にディディエは鼻で笑う。
    「恋愛は自由だぜ?」
    「なぜ」
    「ああ。忘れていた。お前には番を与えなければな」
    「っ」
     ディディエはおとがいをそらし、目を細めて口の端を吊り上げる。
    「欲しいのは番――だろ?」
    「――っ」
     すさまじい風圧がディディエの頬をかすめる。
     蹴り上げた体勢そのままにノウェの鼻息は荒い。
     ディディエを通り過ぎた風圧は、木の壁に裂傷を与えた。
    「番と言う建前にすがったのはお前だ。リュナがお前になびかないのは、人間のせいか? 番の制度を無視するリュナが悪いのか? 人間を愛し、共に行こうとするふたりを許した俺が悪いのか? 原因を他に擦り付けて自分は悪くないと思っているのか。お前が最初に傷つけたんだ。傷つけ拒み、リュヴェルナという一個の人格を否定した。認めろよ、あきらめろ。すでに協会の方には連絡が行っている。リュヴェルナの処刑は近日中に行われるだろうな。お前が撒いた種だ。他の男から奪い返せず、見守るだけだと? どこでそんなメルヘンな頭になった。てめぇが欲しいのはどっちだ? 番か、リュヴェルナか?」
    「――」
    「ちなみに候補はふたりいる。ただどちらも子を産める歳だが、番を亡くしている」
     ノウェは顔を歪ませる。
     静かで冷ややかな空気は埃にまみれ、淀んでいる。ノウェの靴音がわびしく響いた。
     ディディエは椅子から身を乗り出し、手を膝の上で組む。
    「どうだ」
     言われて言葉に詰まる。今更リュヴェルナに対しての発言を後悔しても遅い。ディディエに下から睨まれ、ノウェは身動きできなかった。
    「まあ、番に逃げられる理由なんてもんは、総じてこんなもんだ。つまりじーさんも、そういうことで番に逃げられたわけだが」
     人間に想いを寄せるリュヴェルナを、長老は苦々しく思っていた。昔を思い出し、ノウェを自分に、リュヴェルナをかつての番に重ねて見ていた。憎しみは時間を重ねれば重ねるだけ増幅した。とても忘れられるような思いではなかった。
     長老は当初抱いていた感情は嫉妬だったのだろう。だが次第に自分を捨てて人間の元へ走る番に憎しみがわいた。規則をないがしろにし、子孫を残すことなく去ったからだ。彼は他人から向けられるまなざしの意味がどういうものかをひとりで勝手に解釈し、怒り憎んだ。
    「ちなみに俺はな、人間のことを好きだぜ。もろくて、感情的で、いろんな言葉を知っている。嘘と本音が混在してなにを言っているのかわからない時がある。だが彼らが手掛けるすべては繊細で美しいよ。俺たちはなにも生み出すことはできねぇ。俺たちは人間と比べるときまっさきに力を例えるな。だが俺から言わせれば俺らみたいなこんな弱い生き物、他にあるか? 力が強さの目安じゃないんだぜ。その環境にどれだけ適用できるかなんだ。血以外は受付ねぇ、日光で灰になるって決定的だろうが。これからどんどん人間の血を吸ってみろ、得られるのは怨嗟か? 呪詛か? 違うな。ますます人間の姿に似てくるだけだ。なのに少しも人間になることなんかできやしねぇ。リュヴェルナみたいな奴が増えてもおかしかねぇ。人間と添い遂げることなんぞ無理なんだ。理屈で言ってもな。俺たちは絶滅したっておかしかない。
     お前は人間について誤解している。まず、俺たちは人間がいなきゃ言葉も持たなかった。悲鳴に似た鳴き声をわめいて、本能のままのコミニュケーションしか取れない化け物だったんだ。そいつらに言葉をあたえ、その意味を教えたのは紛れもなく人間だ。今着ている服にしても、ヴァンパイアが作れるはずがないだろう。その工程を見たことがあるか? 日光にさらされながら土をいじくるところから始まるんだ。だから俺たちは人間を殺さない誓いにも似た規則がある。そして同じく人間もヴァンパイアをむやみやたらに殺さない情けがかけられた。一部の人間しか、本当にヴァンパイアを殺すことなんてできやしねぇ。俺たちはすべて人間を利用してきた。一族の中から規則を破った奴が出たとする。自ら裁かずに、また人間はヴァンパイアを殺すことで平穏を得られたと実感する。人間の敵と言う図式が成り立ち、まとまる。相互依存なんだよ」
    「認めんっ。俺は認めんぞ。人間を、家畜を、家畜ごときにっ」
    「なにも聞こうとしないのは、言葉を多く持たない者の習い性か?」
     呆れたように笑うディディエに、ノウェは言いかえすことができなかった。ぐっと堪える。ディディエとの力の差は明白ではあり、傷一つつけられないのは経験から知っている。彼からすれば、ノウェを相手にするなどまさしく赤子の手をひねるようなものだろう。だが押し留まったのは、力ではなくまた別の圧力がノウェにかかっていたからだ。
    「ちなみに昔のヴァンパイアの鳴き声はキーだ。きっとな」
     冗談めかした声がむなしく届く。
     もはやノウェは顔を上げることすら敵わなかった。



     潮の匂い、ざらついた風。
     ぎらつく太陽。
     髪を手櫛で梳けば、べたついてからまり顔をしかめる。強引に絡まる部分をほどこうとすれば、ぶちと音を立てて髪が切れた。
     亜麻色の細い髪である。
     頭上で海鳥の鳴き声が聞こえ、思わず空を見上げる。目を細めても尚眩しい光に、マナルールは悪態をつく。
     寄せては返す規則正しい波の音を聞きながら、マナルールは波止場に腰かけた。横では魚を望む猫は気持ちよさげにごろごろと転げまわる。彼女の心とは裏腹に、波は穏やかでゆったりとした時間が流れていた。
    「マナルール様」
     声をかけられる前に品のある靴音と気配に振り返る。
     しゃがれた小さな、しかし張りのある声である。
     後ろへ撫でつけられた豊かな髪も、目を隠すほどの眉も白い。対して仕着せや革靴は黒。顔は細い逆三角形で、年齢を感じさせる程しわが深い。彼は口元に柔和な笑みを浮かべ、両の手を前で組んで立っていた。
     シニャック家の執事だと一度聞いたことがある。名前は忘れた。
     彼はマナルールと一定の距離を保ち、潮風の生臭い匂いに一度鼻を鳴らせた。
    「無事、長兄ご夫妻に男児がお生まれになりましたことをご報告いたします」
    「――そう」
     マナルールは一瞬なんのことかと目を開き、しばらく思案した。そして出た言葉はそっけないものだった。
     視線を海へ戻し、海鳥がやたら海面を飛び回る様をぼんやりと眺めた。
     背後で老人の大仰な溜息が洩れる。
    「つきましては謝礼を」
    「いらないわ」
    「ですが、旦那様から」
    「いらない」
    「――いいえ。これからも、カイン様を見守っていただくために」
     聞こえはいい。
     カインに心底同情もする。しかし、彼が「今後」と言えば言うほど、もらうことはできない。懐に隠した冷ややかな得物がそれを告げる。だがシニャック一族がカインにしたことと、自分がこれからすることになんの差異があるのだろうか。
     カインは愛され、大切にされ、囲いの中で生きてきた。
     彼は自由を持っていた。だが愛情の中の自由ではなく、放任の中での自由だった。彼の親はことごとく彼の兄と区別をした。強請れば欲しいものは何でも与えられたが、それは物であって愛情の代替品でしかない。
     彼は疎まれ、蔑まれ、疎外された。
     一族に男児はふたりも必要がなかった。争いの種になることから、昔から長兄にすべてを与えてきたのだ。
     つまり次男以降は支配されて生きてきたのだ。
     マナルールも彼を「あの子」と呼び、さながら自分のものであるかのような言動を取ってきた。これはもともとシニャック家からの嘆願から起因するマナルールのおごりである。その言動が指し示すものはカインにとって毒であったことは間違いない。
     毒は彼の身体を侵食する。
    ヴァンパイアの血を吸うという行為は、彼にしてみれば自分を清浄化する儀式であった。
     彼が愛する女性は人間ではなく、ヴァンパイアでなければならなかった。
     老人が頭を下げる気配がして、次いで靴音が遠ざかっていった。
     執事が立っていた場所には、はち切れんばかりに紙幣が入った茶封筒がぽつんと置かれている。
     マナルールは立ち上がってそれを海へ蹴り飛ばした。
     海面に飛沫が上がり、しばらく波紋が広がる。それは深く深くゆっくりと沈んでいく。
     なにかが吹っ切れる気がした。
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