朧恋夜 14

     カインの血の質は日に日に劣化している。だがもうすぐだ。もうすぐで完全に手に入れられる。もしくは自分が彼の物となる。
     カインはリュヴェルナに血を吸われると静かに眠ることが多くなった。ふたりで過ごす時間は減ったのか? いいや、寄り添う時間は長くなった。
    「好き? 違う、やっぱりただの食事?」
     冷え切った空気を裂く硬質な声に、リュヴェルナは振り返らないまま背筋を伸ばした。
     声と匂いに聞き覚えがある。
     足音も聞こえないほど、リュヴェルナは眠るカインを見下ろしていたようだ。
     情事のあと、さながら決まり事のようにカインの血をすすり、彼が倒れるようにしてベッドで眠ったのは先ほど。すでにカインの方は、リュヴェルナの魂を絵画に収めることをやめていた。部屋の隅にぽつんと置かれたキャンバスは見る者もなく、むなしくそこにある。
     月はようやく昇りはじめたばかり。虫も鳥もいっそうはしゃいでいる。
     リュヴェルナは目だけでちらりと背後を伺った。
     青黒い月の光を受けて鈍く光る得物が、マナルールの右手に静かに収まっている。リュヴェルナはその怖気が走る光り方に、刃の材質が銀でできていることを悟った。
     殺すならばふたりが眠る昼間にすればよいのに。そんな
    ことを考えながらどうしたものかと考え込む。さほど興味がない相手とは向き合うことすら億劫だ。
    「大事なものが壊れていく様子って無様で見てらんないの」
     大事なものとは、もちろんカインのことだろう。やはり彼女はここでもカインを所有物のように扱う。そして衰弱していく様を無様だと言う。
     だがなんの怒りも感情も沸いてこなかった。
    「まだ死んでいなかったのね」
    「――」
     ようやくリュヴェルナは振り返ることができた。
    「だから、壊しに来たの」
     無表情で立つ少女には、声すらも抑揚がない。大事なものを壊す、その重要性を認識しているのか。否、わずかに浮かんだ笑みからは、投げやりな感情が見てとれる。
    「カインの死を――望んでいるの?」
     小さな唇が紡ぐ、低く押し殺した声にマナルールは表情を崩しコロコロと笑った。だがそれは一瞬のことで、すぐに唇を引き結び能面を作る。
     リュヴェルナは小首を傾げて眉をひそめる。
    「かわいそうな子だから。私が守ってあげなきゃいけなかったのよ。大事に大事に。――でも」
     すっと目を細めるマナルールに、リュヴェルナは半歩後退した。背後にはベッドで眠るカインがいる。起きる気配はない。疲れきったように眠る彼の呼吸は深い。
    「いらない」
     すとんと闇から落ちてきたマナルールの声に、経験したことのない震えが全身を駆け上がった。
     死に意味などない。崩れてゆくだけ、そんな認識しか持たないヴァンパイアにこれほど得体のしれぬ衝撃を与えたのは、後にも先にもマナルールだけであろう。
    「どうして」
     我ながら場つなぎの愚かな質問だった。
    マナルールは虚ろな視線で口元だけ笑みを寄こす。
     感情の起伏がないにも関わらず、そうやって表情をつくる人間が理解できない。言動とちぐはぐな表情は、ただただヴァンパイアを混乱させるだけだった。
     ゆっくりとマナルールは足を踏み出した。すり足なのは、足を持ち上げるのも億劫なのか。そんな雰囲気さえ感じ取れる歩き方に、思わずリュヴェルナは道を譲るように脇に退く。
     以前、暴言を吐きまくりリュヴェルナに暴力をふるった気配はかけらもない。マナルールの足取りは終始気だるげだった。
     そして短い距離を、マナルールは時間をかけてカインのベッドの傍にたどり着く。
    「せっかく大事にしてたのに」
     うかがえたのは憎悪ではない。
     静かな溜息はそれだけで空気を重くさせる。
     マナルールは腰をかがめ、そっとカインの頬を撫でた。
    「触れないでっ」
     反射的にリュヴェルナはその手を払いのける。とっさのことで加減ができなかった。マナルールは簡単に飛ばされ、壁にしたたか背を打ち付ける。ノウェほどの力はない。けれども通常であれば、人間を振り払っただけでも相手は毛がをするものだ。内臓を傷めず、外傷のみにとどまったのはやはりリュヴェルナとて力を失っているということだ。
     うめくマナルールは恨めしい目つきでリュヴェルを見上げた。
    「私がカインを壊すのと、あんたが血を吸い尽くすの、どう違うっていうのっ」
     咳き込み、口の端に滲んだ血を袖口で拭い取るマナルールを、リュヴェルナは冷ややかに見下ろす。
    「違うわ。彼は私の中で永遠になるのよ」
     その問いは、ヴァンパイアの身を貫く剣になどならない。
    「共に生きられないのなら、どちらかが取り込むの」
    「ねぇ、その馬鹿さ加減にいつ気づくの? あんたはカインと生きたいのに、殺そうとしているのよ。あの子が死ねばあんたの隣には誰もいないの」
    「いるわ。身体の中に」
     けれども隣にはいない。見えない彼の気配を身体に宿して、触れたいのに触れてもらいたいのにそれすらできない。望んだこと。共にあるにはこれしかないと。同じ時を生きたいなら、これしか方法がない。
     陰惨たる孤独だろうか、いいや。
     いいや、二度とカインは自分の前から姿を消さない。なぜなら身体の中に存在するからだ。
     声など聞かなくとも、抱き合えなくとも。
     人間が人間であるがために、ヴァンパイアと別の道を歩む姿を見るなどどうして耐えられようか。
     だから長老の妻は選択した。後に人間を殺した罪で処刑されようとも、その瞬間までは彼女のものだけだったのだ。
     マナルールは唾を吐いて鼻を鳴らす。
    「あたしならまだ連れ戻すことができる。起きなさい、カイン。あんたを必要としている私がいるのよ。あんたの存在をあたしは否定しない。だからあんたが――」
    「マナ」
     悲鳴に似た声を遮る静かで穏やかな声があった。
     明かりのない室内で、人間の視力で互いの顔など判別できない。だが彼はしっかりとマナルールの腕をとっている。
     彼の目はじっとマナルールに注がれていた。
     いらないとも思った。けれどももう一度名を呼ばれたかった。壊したい気持ちが一瞬にして消えた。
    「同じよ。おかしいじゃない。だって、こいつは自分のエゴのためにあんたを殺すのよ。都合のいいことばっかり。でも結果は一緒じゃない」
    「殺さない」
    「カインっ」
    「彼女は僕を殺さない」
    「――わかってよ」
    「マナ」
    「ヴァンパイアの身体の中に取り込まれるってなによ。共に過ごすって、今でもそうしてるじゃないっ。だからあんたたちがそうしようと思えば共存できるの」
    「できないよ。僕が許せないから」
    「な」
     カインは一度視線を落とし、再び決意を込めてマナルールと向き合う。
    「ヴァンパイアにとって血を吸うことは生きるため。僕はね、そうであっても僕以外の誰かにリュナが触れるのを許すことができない。――どうあっても」
     そんなことは難しいんだ、薄く笑うカインにマナルールは眉を吊り上げた。掴まれた腕を振り払う。そしてカインの顔を凝視した。
     見たのは、頬は痩せこけ深いしわが刻まれ、当初の面影は微塵もない変わり果てた男だった。指通りの良い黒の髪は、白髪が混じり乾燥しごわつき、実際年齢以上のやせて貧相な身体つきになっている。
     この腕を掴んだ手は誰の手だったか。マナルールはもう一度カインの手を見て絶句した。しなびた棒の先が五本に枝分かれしているように見える。
     たった数ヶ月のことで、人間はこうも変わるのだろうか。
    「彼らはね、ちゃんと定期的に血を飲まなければ生きてゆけないんだよ」
     カインの呼吸はできそこないの笛のように音を立てている。
     リュヴェルナの前世代なら、まだ欲する血の量はほんの少しだった。人間に容姿が似てくると同時に、人間の血を多く必要とした。ディディエの持論でいうならば、多くを摂取したからこそ人間の容姿に似たのだ。そしてカインはリュヴェルナが他の誰かに触れるのを許さなかった。ではだれから食事を採るか、簡単な問題である。
     マナルールは声にならない悲鳴を上げた。素早く得物を逆手に持ち替え、力の限り振り下ろす。抱いたのは明確な殺意。しかし寸前にリュヴェルナはが腕を掴んだ。
     リュヴェルナは背後からマナルールに抱きつき、必死でそれを止めていた。全身が震え、骨がきしむほどの力を出しているのに、止めるだけが精一杯だった。
    「もう僕のほとんどはリュナの中にある」
     火に油を注ぐかのごとく。
     彼の言葉に、本人の意思に関わらず他者を思いやる余裕はない。マナルールにはことごとく絶望を与えている。
    「だから、もう遅い」
    「あーっ!」
     渾身の力で、マナルールはリュヴェルナを振りほどいた。
    「だったらあたしが殺してやるっ」
     誰よりも、なによりも。
    「残りの血、全部すすってやるっ」
     床に打ち付けたリュヴェルナの身体は思うように立ち上がってはくれない。髪を振り乱し、血走った目をした鬼を止める力は残っていない。目の前で行われた行為が、すべてだった。
     
     それは何度も何度も突き立てられた。
     血はほとんど流れず、代わりに肉が絡み合う粘着質な音が静かに広がる。
     死はあっけない。最初の一撃で事足りた。だがマナルールは執拗に得物を突き立てている。
     カインだったものの喉元は、無残に切り刻まれ引き裂かれ広がっていた。対して他の部分はなんの損傷もなく、干からびていることを除いて綺麗な状態である。
     部屋が暗いことが災いし、それほど惨劇だと目には映らないのか。だが手ごたえは感じているはずだ。響く音に彼女の体重がのしかかっている。
     鼻息荒くマナルールはようやく手を止め寝台を一歩離れる。
     暗闇の中で己の行為に対し、どのように整理をつけているのか伺い知ることはできない。ただ彼女は遺体をじっと見下している。恐怖におののく様子もない。
     おもむろに腰を曲げ、マナルールは興味があるようにカインの遺体に顔を近づけた。彼の頭から足の先まで一身に見つめ、次いで自分の行為の残骸に視線を移す。
     死とはなんなのだ。
     マナルールの行為を、悲鳴を上げることなく見つめていたリュヴェルナは、カインの死にそれほど深く傷つきもせず取り乱したりもしなかった。獲物が振り下ろされた瞬間、カインの死は決定的であり、なにより胸の奥に彼の気配を鮮明に感じたからだ。故にマナルールの残虐な行為を、無駄だと一蹴してしまえる気持ちで見守っていた。
     マナルールはさながら人形とままごとをするように、舌足らずな口調でなにか囁きかけている。遺体の手を取り、うっとりと見つめた後、自分の頬に寄せた。
     もうそれはカインではない。故にマナルールがいとおしそうに手に取るものはただの物体である。嫉妬などあるわけがない。リュヴェルナは憐れみを込めた視線で見つめていた。
     ふとベッドの端に四角いものが目に映る。薄暗い部屋に、黑を基調としたそれは人間では気が付きにくい代物だろう。
     リュヴェルナはそっと立ち上がり、キャンバスを手に取った。絵の中の女はくすりと笑った気がした。
     胸に抱き、きびすを返す。この家に居る意味がなくなった。
     不意に背後で女のきしんだ悲鳴が聞こえた。
     立ち止まり、振り向かずに耳を澄ます。
     なにか液体をすするような、耳障りな音がした。彼女は宣言通り、肉の中にあるわずかな血を飲んでいるのだろう。
     しかし不愉快な音はすぐに終わった。代わりに動く気配がして、餌付くようなうめき声。声は次第に大きくなり、わめき散らし、咆哮し、獣のように慟哭した。
     死とは、本当になんなのだ。
     死とは人間に理性をなくさせるほどのものなのか。
    「あれはカインじゃないもの」
     あれはただの抜け殻だ。なぜマナルールにはわからない。動くはずもない。抱きしめても耳元でわめき散らしても、愛をささやいても。
     目を開けず、口を開かず、なのにあれがまだカインだというのか。
     教えてやれば納得するだろうか。カインはリュヴェルナの中にいる、と。
     リュヴェルナは憐れみを込めて振り返った。瞬間、黒い人影が自らに向けて銀の刃を押し込んだ。

     空は蒼い。
     ねっとりとした黒とくすんだ青を足した色。他は白い点が無数に散らばった黒。それしかリュヴェルナは知らない。
     空だけではない。ありとあらゆるものが黒と青を基調としている。時に温かみのある橙。
     リュヴェルナは習慣になった口元を拭う動作を途中で止めてふっと笑う。その際、己の腕が異様に細く白いことに気が付いた。
     どくり、意思を持った何かが身体の中を駆け巡る。カインの血だ。彼はリュヴェルナの中で息づき、そのことに対して歓喜に打ち震えている。
     胸に抱いたキャンバスに力を込める。木枠がみしりとわずかに音を立てた。
     ざわめく木々に耳を澄まし、わずかに身体を強張らせる。
     同族の匂い。
    「ノウェっ」
     空気を切り裂く風圧と、リュヴェルナの声が重なる。
     反射的に身体が動き、後ろに跳び退った。
     彼の肩越しに大きなクリーム色の満月がある。
    ゆっくりと大きな歩幅でこちらに向かってくるノウェの表情はわからない。ただ目だけがこちらをまっすぐに見据えている。
     彼の纏う空気は重くこちらを飲み込もうとする。
     リュヴェルナは脚が震えた。何かを言おうとしても、全く声にならないのだ。ともすると膝が折れそうになる。
    「俺は今までの行為になんの間違いもないと思っている」
     絞り出す声の性質はリュヴェルナが怯える種類のものだった。聞いた途端、身体は硬直ししきりに相手を刺激しない言葉を模索する。
     だが結果が出るよりも早く、ノウェは動いた。
     風が耳元で鋭い声を上げるのと、目の前の視界が黒く塞がるのは同時だった。
     リュヴェルナの身体は抱きすくめられる。
     その力は骨がきしむ程強かった。
     胸への圧迫に乾いた息が押し出される。
     彼の顔はリュヴェルナの小さな胸元に押し付けながら跪く。
     わが目を疑った。先ほどとは違った理由で声が出ない。
    「苦しいっ」
     けれどもノウェの力はほんの少しリュヴェルナが呼吸ができる最低限を持って緩められただけだ。
    「誰でもいいわけではなかったぞ」
    「っ」
    「番はお前しかいない。これだけ言っても戻らないのか」
    「――ノウェっ」
    「お前が戻らないのなら、その原因を俺は断つ。お前にどんなに憎まれようと、お前を失うぐらいなら」
     肩を押され、なにか大きな四角を目の前に突き付けられる。少し離れてよくよく見れば、はっと息を飲みこむほど強い黒の光を放つ絵がある。
     上目遣いの女は挑発的とも取れる笑みでこちらを見上げている。絵の中の女は自分であるのに、その視線にリュヴェルナは背筋が総毛だった。
     またもやリュヴェルナは硬直した。絵に姿形を押し込めるのだ。絵の中ではなんの懸念もない。カインもリュヴェルナを守りぬき、安らかに過ごすことができるはずだった。どちらかが完全に取り込まれる、これが人間とヴァンパイアの恋愛の仕方である。だが、この絵は誰だ。
    瞳には生気が宿り、今にも動き出しそうな女は、弱くなったリュヴェルナを食い殺そうと微笑んでいる。
     リュヴェルナは呆然と立ち尽くした。
    「短い命だから衝動的になるのではないわ。ねぇ、ノウェ。私たちはとても臆病な生き物ね。曖昧を嫌い、欲しいものは手に入れないと気が済まないの。とことん自分の手の中に隠して、誰にも見られず知られず」
     そろそろとノウェの前にキャンバスをかざす。
     自分の選択は間違っていなかった。だからこそここにいる。
    「お前はあの男を殺した」
    「人間とヴァンパイアは喰い合い以外にどんな関係を保てると思っているの?」
    「リュヴェルナ」
     こんな悲しい結末しかない恋ではなく。
     リュヴェルナは小首を傾げてノウェを振り返る。
    「あなたはなにもわかっていない」
     わかっていないと言い続けて、ノウェの心をわかろうとしなかったのはなによりもリュヴェルナ自身だったではないか。彼の言葉そのもので見、あきらめた。内包する意味など考えたことがなかった。
    「おまえはずるい」
     一瞬言葉に詰まってリュヴェルナは息を飲みこむ。彼の言葉の意味を知ろうとしたのではない。ただ、言葉が重かった。
     目の前に突き出されたリュヴェルナの絵を、ノウェは無造作に腕を突っ込んで穴を空ける。腕は丁度絵の女の顔を破って現れた。
    「取り戻す」
     強い意思のある声の出どころを、リュヴェルナはゆっくりと見上げる。
    「ノウェ」
    「俺の名を呼ぶときは、必ず非難する時だったな。だがそれでも俺は答えてきた」
    「ノウェっ」
    「俺はどこにいてもお前の声にだけは反応できる」
     破ったキャンバスを後ろへ放り投げたノウェ。
     木枠が意思にぶつかる硬質な音と、草がそれを受け止めようとする雑音。
    「ああ。確かに短命だからといって運命に衝動的に向かっていくのではないな。お前は憧れるものに近づきたいのだ、平坦な道のりを壊して。だが憧れるものさえ知らない俺たちは、道を逸れるお前たちを憎む。俺は意のままにならない番を殺したジジイの言い分を理解できる。同じに俺は、リュヴェルナを許さないジジイを殺したからな。だがそれは最後の手段だった。人間とは一つの道しるべにすぎん。人間には人間、ヴァンパイアにはヴァンパイア。異種族など、どうして」
    「――」
    「俺が変わるか、お前が変わるか。人間よりヴァンパイアはその道は長い」
    「聞いていなかったじゃない」
    「なに」
    「私を見ようとしなかったのは、ノウェも同じでしょう」
    「お前が俺を見なかったのだ」
     もはやそんな問いなど意味を持たない。お互いにわかっているのだ。
     リュヴェルナがはぐらかすのは、きっかけを自分に与えないためだった。
     触れてはならぬ。
     固く決意にも似た意思で、ノウェとの距離を保つ。
     ノウェがこちらに一歩を踏み出すたび、怯えるように一歩下がる。表情はすでにぐしゃぐしゃに歪んでいた。
     全身を取り巻くのは、一種の恐怖である。
     彼が手を伸ばせば、それだけで思わず吸い寄せられそうになる。もう一度触れられれば、カインへの想いも行為もすべて瓦解する。そのきっかけをリュヴェルナは恐れた。
     だがそんな思いは、こうも連想してしまう。つまり、自分はカインの肩越しにノウェを見ていたのだろうかと。
     故に、喰い合う関係と言いながらも人間が絵にヴァンパイアの魂を封印するなど夢見がちなことを、対してヴァンパイアは人間の血を吸い尽くして取り込むと言う現実的なことを語ってみせた。
     だがその時点までは本気だった。カインに抱いた思いをたやすく否定できるほど、それほどの弱い想いではなかった。
     触れれば身体の芯が切なく震えた。
     あの時の想いまで偽りにはさせたくない。
    「ノウェ」
     顔を上げれば、まっすぐに見つめるノウェの視線とぶつかった。
    「――」
     全身に冷水を浴びせられたような錯覚に陥る。
     自分の言葉にこそ、その回答はあったと気づいたからだ。
     もはや必要なのは取り繕う謝罪ではない。
    ――リュナ。
     ふと優しく頼りなげな声がどこからか聞こえる。耳を澄ませて、彼の足音も息遣いも気配も感じることはできなかった。当然だ。彼は今、リュヴェルナの中にいる。
    ――僕は他の誰かに、君を渡さない。
     唸るようなカインの声が、再び聞こえる。リュヴェルナは視線を落とし、声の出どころを知った。
     腹に手を置き、中に生き物がいる気配を感じた。ヴァンパイアにはあるはずのない脈があり、全身を駆け巡って熱くする。
    「どうした」
     ノウェが眉をひそめて問う。
    ――君は僕のものだ。僕が欲しかったものだ。
     身体という枷が外れたせいか、その声は欲望に満ちている。
     今リュヴェルナは、身体の芯がきゅっと締め付けられる感覚に戸惑いながらも、口元をほころばせていた。
     愛をささやき、欲し、懇願するカインの言葉はことごとく甘美である。ノウェの必死の懇願もかすむほどに。
     ノウェではまだリュヴェルナの心を捕えきれない。
     それほどまでに人間の言葉は欲望に満ちている。
     一方、リュヴェルナの意識が他へ向いたことを感じたノウェはひどく落ち着きを失っていた。彼女の意識がどこへ向かったのかがわからない。ただ疎外されたことだけは間違いない。だがその疑問を口に出すことができなかった。
    「愛しているわ」
     不意に顔を上げ、ノウェと視線を合わせるリュヴェルナになんら憂いもない。
     結局どちらも手放したくはないのだ。
    スポンサーサイト
    Comment
    Trackback
    Trackback URL
    Comment Form
    管理者にだけ表示を許可する
    プロフィール

    erry

    • Author:erry
    • 二人のちび怪獣に日々追い詰められる駄目主婦。
    最近の記事
    最近のコメント
    カテゴリー
    足跡ぺったん
    ペット人間化
    リンク